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くま社長閑話Vol.389 Facebook投稿より

「実の親じゃない、と言われ腹が立った」

一緒になった嫁の連れ子の小4の男の子はよく挨拶のできる評判の明るい元気な子だったそうだ。

どうしちまったんだろう、日本。

32歳無職の男、なんかのご縁で一緒になった嫁の絶望、想像を絶する。

苦しくてどんどん意識を失っていく男の子はどんなに怖かっただろう。無念としか言いようがない。心からご冥福をお祈りする。

SNSで個人の意見や感想を書いて投稿するのはあまり好きじゃない。あんまりしたこともない。ともすれば、「じゃ、お前はどうなんだ、お前は完璧な人間なのか!」などとこんなところで個人の反論のすったもんだは時間の無駄だしくだらない。想いはそっと自分の心の中にさえ、あればいい。

また私のこのFacebookアカウントではお友達が1,800人を超えて繋がっていただいており、そのうちの約1割の方々から今もフォローいただいている。失望や誹謗中傷をいただくかもしらぬ。

ハナシは逸れるが67年生まれの私は70年代の民放青春ドラマや刑事物、ドリフやパトラッシュ、ラスカルなどを見聞きして育った。また歌謡曲もテレビ、ラジオ、有線などで見聞きして育った。ファンタゴールデンアップルやファンタレモンなどを飲み、ベビースターラーメンをこよなく愛し駄菓子屋に通った。鬱蒼と茂る背丈の二倍くらいの葦が生える近所の広大な河原や手付かずの土地に侵入して友人たちと工事現場で拾った塩ビ管にロケット花火を入れて二手に分かれた敵方(結果的には次の日も同じ学校に通う友達同士)に向けて発射し、ゲリラ戦と称して茂みをかいくぐり敵陣近くで爆竹を鳴らして度肝を抜き泣かすなど、戦争ゴッコをよくやった。軍事資金の調達方法はこれも工事現場のコーラの空き瓶の保証金だ。参謀役を買って出て、のちにリーダーシップを発揮して学級委員長など、皆が嫌がる仕事を引き受ける土台になっていたのかもしれない。

釣った魚のお尻に爆竹を仕掛け爆破するなど非道もやった。後からとても悲しい気持ちになった。毎朝吠える近所の飼い犬に石を投げた事もあった。まあまあの悪ガキだ。

戦争ゴッコでは確保した捕虜を座らせお尻に爆竹を仕掛けた事もあった。ズボンのお尻が焦げ、その子はその夜母に叱られたそうだ。その子が被害者なのに、だ。無論翌日職員室に呼び出され敵陣からのリークにより、担任から往復ビンタに水の張ったバケツを両手に持たされて一時間廊下に立たされた。

どこに行くにもチャリンコだ。札幌も西区は海、山が近く遊ぶ場所に事欠かなかった。オタマジャクシ、セミ、クワガタ、魚、エビ、両手に余る程の大量のカエルの卵を池からすくい上げ同行の仲間に投げつけ泣かした事もあった。帰りの坂道でチャリンコで競争をして仲間の一人がバランスを失い転倒し買ってもらったばかりのチャリンコの当時一大ブームとなった最新式リアウインカーがバラバラになって、血だらけなのに父さんに殴られる、と泣きながら歩くその仲間の肩を抱き寄せながらチャリンコなら30分で着く家路を二時間もかけて歩いた。こっちも泣きそうになった。

何も懐古主義的、美化昇華したりするものか。あれはボクらの、リアルだったのだ。

中村雅俊演じる主人公にやがて通る青春らしきものに自分を重ねて正義感や連帯感、そして孤独感を、知らぬうちに穴の空いたジーンズのポケットに入れて、育ってきたのかもしれない。

いつしか、80年代に入り、平然と汚くやくざな男言葉を使う女子高生をフューチャーしたテレビドラマが増え、私はあれが一つのターニングポイントだったと思っている。

バブルは実際は直接的に恩恵のようなものを感じた事はなかった。あれは少し年上以上の、異常だった。それからしばらく誰しもが景気が悪い景気が悪いと口にした。その陰口のようなささやきをうんざりする気持ちで聞いていた。自分には関係なかった。

初めてやったゲームは、喫茶店のインベーダーだった。ボクには合わずくだらなく、ファミコン、スーファミなど続々登場したが、初期の野球ソフトを弟に少しの時間付き合ってあげただけで、画面に食らいつくように熱狂する姿に、やはり自分には合わないなと思った。盤ゲームを複数人でワイワイ、ルーレット回して子供が生まれたから500ドル、などと架空の億万長者をアメリカ式にやるのに大変違和感があったが、テレビゲームに比べれば、まだ遊びの集いの意義が、それを打ち消してくれていた気がする。

変わったのは、デジタル技術の急速な進歩から当時巨額のコンピュータだったのが、誰の手にもできる手軽なパーソナルコンピュータが出現してからだろう。ボクが最初に買ったパソコンは、Windows95 搭載のメモリ4MB(だったか、忘れたが今では何も動かない容量だろう)IBMのアプティバ、モニタはブラウン管だ。呑気なものだった。自分の書いた文章や表計算、撮った写真などがすぐさまプリントできるのには利便性を享受したとしか言いようがない。ステップス創業時、96年、28歳だ。

技術が革新的に飛躍し続けなんでもできるようになった近年、利便性や娯楽から、誰でもアイディアをビジネスにまで持っていくことまで、やる気になればできる世の中になった。

映倫は意味合いを潜め、メディアはこぞって製作委員会と称して莫大な作品を世に出してきた。またこれも飛躍的に発展したCGを駆使して、なんでも表現できるようになった。信じられないバイオレンスシーンがありふれ、いつしかリアルとバーチャルの境界線は遠く霞んで見えるようになった。これが二つ目のターニングポイントだったと思う。人の生き死にを受け入れる感覚が軽くなってしまっているように思えてならない。まあもちろん劇中の事だが。

超少子高齢化、超過疎化が進む、我が国、日本。仕事なら探せばいくらでも溢れてる国、日本。経済超大国、二位でも三位でも四位でも五位でも六位でも、その他の地球上で営むさまざまな国々と比較して、富に恵まれた国、日本。

やれナントカ、かれナントカ、とワンワン囃し立ててわざわざ将来への悲観的な感情をすら醸成しているかのようにただただ注目収益を集めるのに必死で、自分の仕事をやった、やりきった気でいる日本人の、なんて多い事でしょう。(チコちゃんに叱られるぞい。^ ^)

自由。

自由でいるための努力、水鳥の例えの如く、汗かき涙し必死にもがくことなしでは手に入れることは甚だ困難と思われる、本質的な自由。

感情や環境の改革変化を自ずから取り組まず、学ばず、見ず、聞かず、触らず、人のせい、物のせい、言ったもん勝ち、やったもん勝ち、無変化自己を自由と称し、自由であると主張する。

いろんなご縁、世のため人のため、自分が自分らしい自分でいるためにすべき努力、本質の見極め、人としてやってはいけない事、人として生まれてきた以上、やらなければならない事、辛くても苦しくても、もがきもがく、その先にある、自由。

目が曇って明日の灯りが見えないと決め込んで悲観的になり、悲劇的な結末を選択してしまうその刹那、瞬間。

いまこの瞬間も極東の細長い列島国、日本で、その各地で、額に汗をし笑い泣き、社会を支える多くの人々がいる。みんな同じように頑張ってる。

ほぼその殆どの人々は、深かろうが浅かろうが、また高かろうが低かろうが、社会に対して意識をして、一生懸命に生きている。

できているか、できていないか、はそんなに深刻な問題ではない。問題は、やるか、やらないか、だけである。

やってもやらなくても、時間は過ぎ、月日は流れ経っていく。

終わりのないものは、ない。
全ての事象には、必ず終わりがある。

この認識を持ち、終わり方を考える人は、少ない。

極みは、本当にそれでいいのか、と言う直感に尽きると、最近とみに思う。

自分の心の中にのみ、真実がある。したがって平素自分の心の中で問答する習慣を身につけなくてはいけないと思うようになった。

これはしかし、本当に難しい。

自分の心の声を聴く。
そして自分らしく生きて、決して後悔しない。

忌の際にまで向けて終わり方を決めてある人は、生のある日々はとてつもなく強い。

しかし、今回のように自らの終わり方を、まさかと思わせるような結末にしてしまう事は、ともに余りにも不幸で絶望しかない。一方は生を、一方は社会における存在を、一瞬にして終わらせてしまった。

善悪を論じる考えも資格も、わたしにはない。

取り返しのつかない不幸を、できうる事なら皆無になるよう、祈るしかない。


2019-09-21 10:10 webmaster


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