くま社長閑話 Vol.210 「魂は遊ぶ」
連発してブログ更新している。
勢い、と云うものは妙なものだ。
しかし今回のお話は、実は昨日、3連発の後、勢いで4発目に記述してしまいたいキモチと、一旦筆を置いて、深呼吸してから書きたいと云うキモチとが葛藤して、やはり、一呼吸置いて書くことに決めたんだ。
魂は遊ぶ。
辻正仁(つじまさひと)。
魂は、遊ぶ。
このヒトをどうやって説明すればいいのか、正直判らん(笑)。
ただ多くのヒトに知って欲しい。彼のサイトは上記からご参照!
平岸のライブハウスへ行ってきた。
このヒトの唄が、聴きたくて。
このヒトのココロの内は、何層にも折り重なる、魂の羅列があり、ライブは、その地層の断片を見る思いがするのだ。
そう、とても正直に生きている。
そう、照れくさいのだ。
本気の凄みはその歌声をブルージーにし、それは無論、テキトウな歌唱では決して、ない。
判ってるヒトはそう、多くはないだろうな。
魂は遊ぶ。
このヒトの文章はとても明瞭で起承転結がしっかりしていて、所謂、オチがある。
このヒトのエッセーを読む時にはいつも感じるのだが、読者のココロを軽快にする作用のあるテンポを有しているのだ。
魂は遊ぶ。
このヒトの詩は、縦横無尽だ。しかし、テーマは都度、一貫している。
そうしてこのヒトの詩は、どんなリズムにも、寛容で、一定のタイム感がある。
このヒトの頭の中で鳴っている音楽に追いつこうとも、追いつかれようともしない。
このヒトの表現する音楽には、たとえギター一本の弾き語りになろうとも、オーケストラリゼーション、とでも云うべき、アレンジメントがなされており、ココロの共鳴板に、様々な楽器が、和声を伴って、響いてくるのだ。
音楽は、リズム、メロディー、ハーモニーの複合的調和が作用して、オーディエンスの聴力や視力を超えた空気感を、音と云う空気伝達するエネルギーに代えて、発生したものを聴くもののココロで捕らまえるべく、感性に訴えかけると云う類の表現方法のひとつであろう。
様々な表現があり、様々な価値観があり、様々な評価批評もあるんだろう。
ややこしいので、ジャンル分けなどして、カテゴライズしたがるんだろう。
しかし、同じだ。
魂は、遊ぶ。
こんな素晴らしいセンテンスを吐き出すパワーは、氏の人生観を左右してきた、それこそ氏の魂の経験値より他に、ならない。
壁に架かったジョンが笑ってたね。
うん、確かに笑ってた。
魂は、遊ぶ。
忘れかけてた少年性が蘇る事は、不思議なことでは、ない。
なぜなら、それは魂が遊ぶのだから。
実にステキな夜だった。
実にステキな、魂の遊び、だった。
ありがてえ。
2008-03-09 22:43
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