くま社長閑話 Vol.257 「十二月八日」
大いに、大いに、休養をとったくま社長。
まさに閑話、なのである。
日記では、ないのである。(開き直りっ。)
いやなに、Blog休養。
調子のよくない時に、調子のいい話、書けんしぃ。
婚約中、あ、いや本厄中ですし。
Johnのお話は巷のメディアでも、もはやさらっとしたものになってきた気がする。
そー云えば先日、Paulが未発表曲をリリースする、だか、しない、だか。
Johnで1940年生まれだから、元気だったら、68歳ですかぁ。
まだ唄ってたかなぁ・・・・・。
一回り近く年上のお友達がいっぱいいる、くま社長。
68歳のお友達も、それ以上年上のお友達も、くま社長にはいるんだなぁ、これが。
すごい!
またこれが皆さん、相当、元気なんですよね、ホント!
立派な方々ばかりなのですが、エレキギター持って、日本武道館で演奏したことがある人は、さっすがにその中には、いないですねぇ。そりゃそーだ。
もちろん、僕も41歳ですが、今だに、エレキ持って日本武道館で演奏は、したことが、ないなぁ。
今は亡き琴似武道館で小学生の頃、「えぃっ!やぁー!」っと、やってたくらいが、関の山。
どーでもいい、お話ですな、こりゃ。
太宰の作品に、「十二月八日」と云うのがありまして、読めば何で「十二月八日」なのかは、わかるんですが、偶然とはとても面白いなぁ、と。
随分前に、太宰の展覧会が中島公園にある文学館で開催されていた時のお話、書いたと思うんですが、その中で若い頃(まだ青森にいたころ)の少年津島くんは、Johnの若い頃にそっくりな顔してたんです。(少なくとも、その展覧会に展示してあったスナップの数枚は酷似していた!)また、授業中にノートに悪戯書きで絵(漫画のようなデッサン)の書いてあるのが、またご両人共、タッチも構図もそっくりなもんですから、びっくりした事を覚えております。互いに生きていた時代、微妙に繋がってはいるんですが、もちろん太宰が先輩で、Johnが後輩で。(Johnがリバプールでまだ子供だった頃、太宰が玉川上水で、ですな)茶目っ気(これは後に、お道化、としたのは若い太宰本人である)たっぷりの少年期を過ごした共通点も、後の彼らそれぞれの作品に陰日向となって成果を与えている。
斜陽館とStrawberry fields
青森とRiverpool
煉瓦のと港。
日本とイギリス。北の小都市。
なんか、あるなぁ。
北の港町の煉瓦。
なんか、あるなぁ。
いちご畑よ、永遠に
目を閉じて生きることは、カンタンだよね。
キミが見るモノすべて、勘違い。
僕の木には誰も居ないと思うよ。
高かろうが低かろうが、ね。
Shiki soku ze Kuu, Kuu soku ze Shiki.
Gear tee gear tee halla gear tee.
訳 くま社長
おやちゅみ。Good night!!
2008-12-10 23:03
Comments
コメントはまだありません