くま社長閑話 Vol.246 「今はまだ人生を語らず」
旅は道連れ世は情け。
袖擦るも何かの縁。
8月は2回、先月の9月は1回。
くま社長閑話、ご無沙汰である。
なにやらガイヤがにぎやかしい。
そんな時は、やり過ごすのだ。
なり、でいい。
♪朝日が昇るから起きるんじゃなく、目覚めたときに旅が始まる。♪
今はまだ人生を語らず/吉田拓郎
今年本厄。
そう、昭和42年3月1日(木)12:00過ぎ、札幌市中心部のテレビ塔近くで生を受け、齢41歳、ナントカここまでやってきた。
表現で飯を食ってきた。
伝達で飯を食ってきた。
汗で涙で笑いで飯を食ってきた。
・・・・・ような気がしている。
ホントに厄年にはいろいろある。
と、思えばなぁに、たいしたこたぁーねぇさあー(笑)
しかしながら、素晴らしい出会いを今年もいっぱいしたなぁ。
ボクは確かにあのとき、そこに居た。
月寒公園や吉田川、釧路や帯広の河川敷。
ニッサングリーンカップのボールボーイとして。
社会に出て、いっぱしのセットアッパーとして、ブルペンで肩を温めながら、何度も何度も、チームの為に、勝利の為に、マウンドに登った。
また、ここぞのタイミングで代打に指名されては、都度、仕事をしてきた。
めちゃくちゃ頑張った。
社会人デヴューの頃は、先発メンバーとしてベンチ入りしたくてしたくて、めちゃくちゃ頑張った。
若いときは先発完投もした。四番を打っていた事もあった。
もちろん、内野も外野も、いつでもどのポジションでも使われたくて、一人でこっそり、居残り練習もやった。ショートバウンドが上手になって、ほくそ笑んだこともあった。
やがて、チームへの貢献のもう一つの方法論として、プレイングマネージャーとして、先輩、同僚や後輩のガッツを讃え、お互いを鼓舞しながら、チームをまとめる役割の大切さを覚えてきた。マネージメントがだんだん、面白くなってきた。
ささやかな自信と実績がつき始め、少しずつ、自分の行く末、つまり、自分の何が世の中に役に立つのか考え初めて、考え方に変化が生まれてきた。
「そうだ、自分のチームを造ろう!」
思いは至って単純明快、これが全てのモチベーションとなった。
チームはひとりひとり増えて、また減ったり増えたりしながら、いつの間にか13年目に突入した。
流石に今となっては、先発完投も代打でHRも自信がないけど、自分にとって代わる、選手がだんだんと育ってきた。
相変わらずボクは練習は好きで、恥ずかしながら、今も一人でこっそり、壁ぶっけなど、やったりしては、カーブが上手く曲がったりすると、やっぱりひとりでほくそ笑む。
たまにベンチからオーナー兼監督の立場で、広いグラウンドを眺めることがある。
ふと、誰も居ないはずの外野フェンスの向こうに、ぽつりと立ってこっちを見ているボールボーイを見た思いをする。かつてのボクが、確かに、そこに居る。
青春の残像か?
聴こえないはずの声が心に届いてくる。
「おーい、ハチくん。おまえ、なにやってんだぁ?そんな大人になるつもりは、ないぞ。」
「ははは。やっぱり、キミはボクか。」
そーだった。
いつの間にか、一生懸命やってるうちに、時は経った。
子供の頃、やはり一人で公園のトイレの壁に壁ぶっけしてて、気が付いたら辺りは暗くなっていた。
上手くなりたい、もっと上手くなりたい。
そう思って。
ボク、そしてボクのチームは、頑張った。
昔も今も。
試合はまだ始まったばかり、ではないが、まだ3回の裏、ホームグラウンドである、まち場のど真ん中で。
打順は1番に戻った。
絶好のチャンスである。
2008-10-02 19:54
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