くま社長閑話 Vol.212 「いやー、すごい!」
こうしてこの週末、3月9日(日)にブログを更新して、これで7発目。
ホントに勢いとは、妙なもんだ。
今日の朝刊を見て、いやはや、感動した。
スウェーデンで開催されたフリースタイルスキーのワールドカップ、女子のデュアルモーグルで日本の上村愛子くんが優勝して、W杯4連勝、来る15日の最終戦を待たずして、日本人で初めて、モーグルの種目別総合優勝を果たしたんだ。すごいなぁー!おめでとー!あ、いや別に友達でも知り合いでもなんでもないんですけども、なんだか、同じ日本人としてとても嬉しいね!頑張ったなぁー、いやいや、スゴイ!
先日、東京、恵比寿のリキッドルームにて、染谷俊くんのバースデーライブ、見に行ってきたんだ。写真はその後、東京で頑張ってる、三角堂の流(ながれ)こと、レレ蔵。
「いやーはっつぁん、恵比寿でヱビスだねぇー!」なんつーて、とてもいい時間を過ごしてきたんで、そのご報告がてら、ガンバル、について、チロっと。
あんまり大きな声で(いや、記述なんだから、声、ではないなぁ)云えないが、2月22日、今年で○○歳になった、染谷俊ちゃん。
そー云えば、このライブ報告は前に、書いたっけ?(っと、一旦書くのを止めて、調べる)
あぁーまだ書いてなかった。
そうそう、いろんなときめきがあったもんだから、整理してから書こうと思ってたんだよね。
頑張る、ってなんだろー?
いったいなんのこと?誰の為?
自分の為?誰かの為?
結果って、成果って、なんだろー?
求めているもの?求められているもの?
成功って、なんだろー?
どこかの電車の路線の終着駅に、行灯でもぶらさがってんだろーか?
いいこと?わるいこと?
もし、今が成功しているなんて、実感を持っている事自体、行き止まりの袋小路を走ってきたようなもんで、その先って、なんにもないんじゃ、ないだろか。
まあまあ、上手くいってる。
こんな具合が一番いいのかもしれないな。
ゴールってあるもんなんだろかな?
目指して走る、何かランドマークみたいなものって、やっぱり必要なのかもしれないしね。
やんなきゃいけない事、相当あるんですけども、いやはや、そのどれも出来ていません。出来てない。
まずいなぁ、こりゃ。
どこから手をつけていいかすら、わかんないくらい、あるなぁ。
やばいなぁ、こりゃ。
ひたすらに、ひたむきに、走り続ける。
これが出来る、あるいは出来ているヒト、そうは居ない。
染谷俊と云うオトコ。
このヒトは、本当の意味で、ひたすらに、ひたむきに、走り続ける。
昨年11月、そのイベントで知り合った彼は、PVのロケにツアーの一環を兼ねて、ここ札幌にやってきた。いろんなヒトが時間のない中、瞬間的に、集まってアイディアを投入して開催したイベントの中で、エレクトリックピアノ1台で聴衆のココロを揺さぶって、帰っていった。
このヒトはいったい、なんなんだろう?
そう思っているうちに、バンドテイクでのライブを見てみたくなった。本当にやりたい事を今できる、やりたい環境でやっている彼を見たくなった。
2月22日(金)、恵比寿リキッドルームは熱狂した。
荻窪男(オギクボマン)と云う名の、映像チームの奏でる音と映像のコラボレーション。開場後から開演までの映像はデジタル表記の逆ラップを刻む時計を中心に据え置き、ライブがスタートするまでの異様な緊張感を演出していた。そしてライブが始まる瞬間まで残り僅かな時間に差し掛かって、染谷俊の過去の映像から今、ここ恵比寿のステージ立とうとしているリアルな彼と無機的に融合し視覚的に物理を解き放つ、スケール感のある演出だった。
彼の特徴である、歌中のポルタメントが、札幌では若干、うっとおしい衝動に駆られたが、敢えてラインで聴く会場の外のモニターで、その激しく強い歌唱力に負のベクトルを全く与えていない事に気付き、歌い続けてきた彼が失わなかった、本格的な技量をさえ、感じることが出来た。実に、実力派なんだ。少しだけ震えた。
全編を通じて彼から放たれる、彼の人間性、そう、そのものが、この素晴らしいライブを成立させている事に、ボクは感動した。
アンコールも終わり、彼が舞台から去るその瞬間まで、彼がひたすらに、ひたむきに、走ってきた人生そのものをまざまざと感じさせるその、人間性。優しく、力強く、聴くもの、見るものを圧倒し、そして包み込むチカラ。
終わった後に、前出のレレくんに開口一番、こう云った。
「いいライブって、いい人間(ヒト)だけが出来るもんなんだな。人間(ヒト)がよくなくちゃ、いいライブって、出来ないんだね。」
考えてみりゃ、そりゃそーだ。
その人間(ヒト)が歩んできた経験値のみが、表現できる全てなんだと。
テクニックを磨いたり、アンサンブルを考えたり、アレンジを決めたり、やらなきゃいけないことは、売るほどある。
しかしそれも全て、そこに向かって努力した人間だけが、それを習得して、自分のものにし、やがて表現をし始める。
ヒトに聴いてもらう作品を作るにあたり、ヒトに聴いてもらいたい感情や風景、物語を作るのは、これも人間の作業だ。
その人間がよい人間でなくては、よい作品になる訳が、ない。
よい人間。
なんじゃ、そりゃ?って聞かなきゃわかんないかい?
無論、ボクはそんな人間に成れてないさ。
悪いところいっぱいあるよ。それこそ売るほどね。
2008-03-10 00:20
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