くま社長日記 Vol.201 「新たな決意」
我が家に平成4年の初夏から住み着いている猫、にゃおーんさん(本名)は、
今年で16年、連れ添っている。
初夏の麗らかな日差しの中、裏庭に面したベランダのドアを開けていたら、
珍入してきた。
そのベランダのドアに、右前足をそっとかけて、立ち止まり、顔をこちらに向けて、さも、「ちょっと、いいですか?」風な趣なその顔つきは、なにやら若干媚びていた様にも記憶している。
「にゃおーん。(あ、ちょっくら、おじゃましますよ。)」
「ああ、どうぞ。」
「にゃおーん。(あ、こりゃ、どうもありがとう。)」
「どういたしまして。」
確かに、会話した。
出会いなんて、こんな調子が、ちょうど、いい。
矢張りボク自身、こんな出会い方をしたヒトとは、案外、長い付き合いになっている気がする。
彼女は開口一番、「にゃおーん」と云ったので、ボクらは彼女の名前を「にゃおーん」と決めた。これは当時既に一緒に暮らしていた、今の奥さんが命名した。
そうして一緒に暮らしていた奥さんの双子の上の方の妹と4人の生活が、始まった。
彼女は意外にも、礼儀正しく、性格もおとなしく、分をわきまえ、立派な猫だった。トイレもしっかりできたし、ご飯もキレイに食べられたし、爪とぎもちゃんと決まった爪とぎダンボールでのみ、行っていた。まるでどこかのご令嬢、あるいはそれ以上のお育ちにさえ、見えた。猫がやって来て、楽しいボクらの生活にさらに楽しみが増した。
麗らかな光りがこぼれ、木々草々の新緑の芽に輝きを見た春の日、彼女はベランダで光の届く僅かな場所を好んで、のんびり寝ていた。
蝉の声に紛れ、積乱雲が見えるお庭に強い日差しがこぼれ、いよいよ草木も生き生きと緑を増す、花咲く夏の日、手入れ不足のお庭に生い茂る雑草の中、オンコの木の下で、彼女は密やかに、まるで群れを離れたサバンナのライオンのように低く静かに涼んでいた。
ふゆいちごがたわわに実り、裏庭の楓よりの落葉が舞う秋の日、薄の生い茂る土手を目の前にする、空高く細切れの雲の下、玄関の塀の上で、彼女はボクらの帰りを待っていた。
豪雪かつ風雪厳しい地区故の穏かならぬ冬の日の夜が明けた、穏かな晴天の朝、早朝に外出した彼女のお散歩の足跡が、雪の積もるクルマの上に、たくさん残っていた。
ボクはその頃、いつも「にゃおーんは、かすがい」と云っては、大切に、それは大切に育てて、ともすれば家庭を投げ打って、仕事に没頭し忙殺されていたあの頃、あれで猫が居てくれたからこそ、お世話をしなくちゃいけない、ごはんは?お水は?トイレは?と気に係り、二、三日は家を空けても、そればかりは自分の残された、家族との絆の生命線、ボクがこの猫の世話をすること自体、当時(も今も)のボクの最低限の家族意識の中の、ある意味偽善的ではあったものの、神聖なる儀式のようにさえ思えていたのである。
そのコトバの通り、やはり「にゃおーんは、かすがい」だったのである。
平成8年8月、ボクらの結婚を期に、一緒にくらしていた双子の片方の、その妹も、一人暮らしを始め、ボクと奥さんとにゃおーんさんの三人暮らしになった。
この頃のボクは会社を創業したばかりで、本当に大変だったけども、お家に帰る、と云う一見一聞、まるで当たり前の事を、ともすれば放棄してしまうほどの勢いで社業を始めたので家庭が揺らいで仕舞う危険性も想定されたが、新婚の雰囲気に増して、猫への奉仕の義務により、比較的ちゃんと帰宅していたもんだ。
また当時思っていたよりも仕事が無かったしな。
あっはっは。
それまでの本当に猛烈な、疾風怒濤の社会人生活から、じっくりと本質を見つめるいい機会に恵まれた。そのうち仕事も順調で次第に多忙を極め、やもすれば家庭崩壊(ま、少し大げさか)になりかけ、幾度も危機一髪を救ってくれたのは、猫であった。
やがて平成10年に愛息くんがこの世にやって来た。ボクたちはこの赤ちゃんと猫との共存、「アムっ、と一口」など若干、心配した。が、しかし、にゃおーんさんの本領、本懐、品格が驚くべく如何なく発揮されたのである。
生まれて間もない愛息くんの横たわるベビーベッドの傍らで、じっと、初めて見るなぞの生命体の観察を怠らず、やがてそれは自身より非力で、手間のかかる新しい生命なのだと認識したのだと想像する。事実、今でこそ小学校3年生の愛息くんは、当時、にゃおーんさんより、小さかったのである。本当に悪戯など一度もしなかった。ともすれば、昼下がりの日曜日、麗らかな日差しの中、ベランダの大きな窓の片隅で、バスタオルを数枚重ねて俄かに作ったお昼寝床にぐっすり眠る愛息くんに寄り添うように、にゃおーんさんも添い寝をしていたことも一度ではない。
こんなに優しい家族の一員が居て、微笑ましいその風景を見て、ボクら二人はとても幸せな気持ちになり、お互いに顔を見合わせ、ぷっ、と笑いあった記憶が今も新鮮によみがえる。
とある人物の猛攻と更なるご縁で紹介された人物の後押しがあって、南3条の三条美松ビル地下1階に「アンプラグドカフェ Jaco」と云う昼は喫茶、夜は飲み屋と云う営業形態のお店を出した時、赤ちゃんのオムツをお店のテーブルに寝かせて取り替えたりも、した。睡眠時間は激減し、人生に於いて、幾度と無く通り過ぎた多難の疾風怒濤の時代こそ、大切な事を学ぶ機会に大いに恵まれていたのだと、今思う。
そんなときもお家で待っているにゃおーんさんの事は頭から離れず、やりたい事、やらなくてはならない事、やるべき事、やった方がいい事、やらない方がいい事、やってはならない事の分別はこの当時より、少しずつついてきたのかもしれない。曰く、「にゃおーんは、かすがい」の通り、エサ、トイレ、水は当時のボクの生活のバランスをしっかりと支えてくれていたのだと、今思う。
そんなある日、我が家の猫、にゃおーんさんへのコミュニケーションの為に、いつしか、人間様における三食定食にあたるドライフードだけではなく、一日一回程度「にぼし」を与えることにした。与える際に、ある芸を仕込んだ。3ヶ月くらいかかったような気もするが、最初から出来たような気もする。賢い猫を再認識した。
当家では、猫のえさ、水、トイレの清掃、毛繕い、爪切り、ゲボの処理始末、耳そうじ、その他もろもろ、にゃおーんさんへのおもてなしは全て、パパたる、ボクが行っている。にぼしを与えることは、パパ以外の何人(なんぴと)たりとも、これを禁じている。生類憐れみの令、ご法度である。
キッチンに立ち、クチで「ちっちっ」っと合図を送る。するとお家の何処にか居らん猫が、キッチンに立つボクの足元に、やってくる。さらに「ちっちっ」っとクチで音を出し合図を送る。そうすると、猫はそこに一旦、お座りをする。そこから、ボクは猫の額に僅か20センチくらいところで、指パッチンを 2、3回する。すると、猫は、お座りの状態から、その指パッチンのボクの手の甲にめがけて、「びよーんっ」とキッチンのシステムシンクの扉を壁代わりにしながら、伸びてきて、その手の甲に彼女の額を数回、すりすりする。まるで比喩が見当たらないが、消防のはしご車がそのハシゴを9階建てのビルの屋上にめがけて、するっと伸びるように、「びよーんっ」と云う音が聞こえるような錯覚を伴い、伸びてくる。
それが有意識上のボクと猫のコミュニケーションであり、煮干の儀式なのである。
その煮干の与え方は、その儀式(芸)を終えるやすかさず、煮干を煮干を保存しているタッパーウェア(昔はこの様式の保存用プラスティック容器をとりもなおさず全て、タッパ、タッパ、と呼んでいた。母がその要因である。たしかアムウェイに似ていたような商売だったのか?)一匹つまみ取り、ボクら二人が儀式(芸)をしているキッチンから、勢い良く、リビングの端っこ、二階へあがる階段の一段目の麓あたりを目指して、放り投げる。すると、猫は、反射神経の塊、縮めたばねを開放するかの如く、煮干めがけて猛ダッシュするのである。いつまでも元気で野生を忘れぬように、との思いもこめて。
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近頃、めっきり、寝ていることばかりのにゃおーんさん。
少なくとも、当家に来たのは猫齢で 2歳くらい。
当家に来訪されて半年くらい立った頃、もうどこにも行かず、必ずお家に戻ってくる習性を確認した上で、この猫と一緒に住もう、と決意したある日、近所の動物病院へ行き、避妊手術を施した。ラッパになって帰ってきた猫を見て、人間の都合、人間の都合、と何度も何度も繰り返し、その非業を呪った。痛々しい泣き声は痛切にココロに響いた。そのときに確か、病院の先生が、猫齢で2歳くらいか、と仰った。
それから早16年。
猫齢で17歳を超えていると云う事は、人間の年齢で80歳に程近い。物憂げな雰囲気を呈しながら、日々、過ごしている。
毛艶はそう、悪くはない。食欲は衰えてきた。水を良く飲み、排尿の回数も増えた。しかし、先日耳を患い、久しぶりに病院へ行って診察をした際、血液検査もしていただいたが、年齢のわりに、本当に健康な猫、なのだそうだ。少し安心した。
例の儀式(芸)は未だに行っているが、もう、煮干を勢い良く追うことは、しない。智恵がついた、ともいえるかも知れない。が、後ろ足は目に見えて、衰えてきたようだ。よろよろしているときも、ある。
最近、鰹節も与えている。やわらかく、風味も良く、お気に入りのようだ。
が、しかし。
年をとると、好みがうるさいようだ。生協の花かつお、しか、食べない。東急ストア、マックスバリュー、ビッグハウス。いろいろ試してみた。販売先の小売店の問題じゃないことくらい、判ってます。製造元、なんだな。ま、細かいことはいいんですけども。
生協の花かつお、しか食べない。
・・・・・・・・。こやつ、・・・・。と毎日、ボクは唸るのである。
猫でも、そうである。
人間なら、なお、である。
「新たな決意」、はここに発端がある。
今日も長文になったので、この「新たな決意」はいったい、なんなのか?後日、この場で語ることにいたす。
猫のお陰で判ることも或る。
謂わば我が師は猫、とも云えるので或る。
より良き会社経営を目指す、ピーター・ドラッカー、ならぬ、にゃおーん、なので或る。
真実は顧客にある、顧客は・・・・云々。
真実は猫にある、猫は・・・・・・云々。
負けぬ。
2008-02-19 11:12
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