くま社長日記 Vol.136「YAHARI」
4月3日(火)2時26分、2日(月)26時26分とも云える。自宅にて。
オバンです。
と、北海道人は云う。
果たして小生、矢張りオトコである。
オバンです、とは云っても、決して女性が齢を重ねたの意、
ではないのである。
こんばんわ、の意である。
「じょっぴん」と、北海道人は云っていた。
「じょっぴん」は「かる」と云う動詞が付随してひとつのセンテンスとなす。
曰く、「じょっぴんかる」は即ち、「鍵をかける」の意だ。
また北海道人を「道産子(どさんこ)」と、呼ぶ。
これは少なくない。得てして道産の品々は概ね「どさんこ」
と呼ばれる。どさんこ、と云うラーメンチェーンが、あった。
※現存するな、たしか。
北海道札幌の名物はナント云っても「味噌ラーメン」だと
心の底から思うのである。が、しかし、北海道内には
大変な郷土ラーメンが存在するのは事実である。
そのひとつ、室蘭の「カレーラーメン」。
数日前の朝日か読売の朝夕刊に(こりゃ、ひどい記憶力だ)、特集されていたそれは、ナント会長職もいらっしゃる(記事もしっかりと拝読したが、その室蘭カレーラーメンの創始者の尊ぶべきご芳名をすっかり忘れてしまった)団体を配しその風味美味たるを啓蒙普及に勤しむ崇高な活動をされておられると知った。
好きこそ、である。
小生、年に1度、夏の終わりに少し早い季節、彼の地にてJAZZ
の舞台進行のお仕事を拝命し、足掛け数年に及びその期間数日間潜伏し、汗と涙の戦友と共に交流を深める機会を得、おかげさまで、この土地には造詣が深い。また、小生大学を12単位で早めに卒業し、紆余曲折の後、初めて社会人生活をさせていただいた当時務めていた会社に生涯これほどの美人で優しい方はおるまいと、想いを硬く胸に秘めては憧れておった先輩もここ、室蘭のご出身だった。
また、この地は北の国、北海道にしては一年を通じて温暖な地域である胆振にあり、名門校名高いサッカーの街でもあり、
前述の社会人時代、そして平成8年の創業より数年に至るまで、
北海道サッカー協会(現財団法人北海道サッカー協会)の名の下、STVラジオの特派員的イベントディレクターとして大会運営のため、室蘭社会人サッカー連盟の皆様と共に入江公園を中心にウロチョロしていたころもあり、この土地には造詣が深い。
さらに夜な夜なライトアップされる測量山のアンテナを見るたびになにやらロオマンチックなキモチになっては、埠頭のもやい掛けの上に腰掛、夜霧にむせび泣いては、ハードボイルドなキモチにも、よくなっちゃう。そうしていよいよ、この土地には造詣が深いのである。また、この地の最大の特徴である、突き出した湾曲な造形の室蘭港の港湾の深さにも、またしても造詣が深いのである。
曰く、その昔矢張りこの埠頭から測量山を眺めつつボーっとしながらも、名も知れぬ釣り人のその穏やかな波間に竿を出し糸を垂れているのを見つめながら、胸のポケットから取り出したタバコに火を点けようとして、ライターを落っことしちゃった。ゆらゆらと沈みながら、時折、まるで疑似餌のスプーンの如く、ひっくり返った裏面の銀色に光る面に日光が当たって反射するのに、近くを泳ぐ小魚がタックルをし損ね、しまいに海底に横たわるのを見て、もののあはれを想ったことは記憶に今も、ただし漠然とであるが残っている。それほど造詣が深いのである。
そのJAZZイベントの出店に「じぇんとる麺」と云う、有名店が
あり、矢張りそこで提供されているのはカレーラーメンなのである。
この「じぇんとる麺」のカレーラーメンはジェントル(優しい)な
代物ではない。なかなか、辛いのである。
しかしこれがどうしても、食べたい。食べたくなる。
私は無論、舞台進行の崇高な業務完遂の為に、そこに居るので
矢張り無論、本番中に出店でチョロチョロしているなど、不可能に近いはず、であるにもで、ある。
私の内なる分身が、買いに行っちゃうのである。
私はそのとき、忍術を使うが如く、スキマを盗むのである。
そうしてこの室蘭港の埠頭にある大きな倉庫の中で開催される
JAZZイベントにて、この「じぇんとる麺」のカレーラーメン
を食したときの喜び、その瞬間、余りの辛さに、矢張り
咽び泣くのである。
私は、この土地に造詣が深い。
その室蘭から、とても嬉しいメールが来たので、ちょっとだけ、
ヨイショ、した。
またお伺いいたします、またしても造詣を深める為に。
2007-04-03 02:20




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